長野県の松本市から車で20分位の、池田町は「てるてる坊主の町」として有名です。
なぜてるてる坊主なのかと言いますと、童謡の「てるてる坊主」の作詞家「浅原六朗」が、明治28年(1895年)に、この池田町に生まれたからだそうです。
後ほど述べますが、ご存知、「てるてる坊主」の歌詞が、色々な波紋を呼んでいますね。
池田町では、毎年「てるてる坊主アート展」が、開催され、各地からたくさんの「てるてる坊主」が出展されます。
昨年のこのイベントの日は、なんと雨!
あんなにたくさんのてるてる坊主の願いも、神様には届かなかったようです。
今回は、てるてる坊主の意味や作り方についてと、怖すぎる由来に迫ります。
てるてる坊主は、海外にもあるのでしょうか?
てるてる坊主の意味や作り方
先ずは、「てるてる坊主」の意味については、きっと誰もが知っているかと思いますが、「あした天気にしてほしい。」ということですね。
小学生の頃、遠足の前の晩には軒先に、てるてる坊主を作って吊るし、「明日晴れますように」とお祈りしたものです。
元々、「てるてる坊主」は、翌日の晴天を願って白い布や紙で作った人形を、軒先に吊るすものです。
「照る照る法師」、「照れ照れ坊主」、「日和坊主(ひよりぼうず)」など、地域によって様々な呼び方があります。
江戸中期に、日本では既に飾られていて、折り紙のように折って作られるもので、よりリアルな人間に近い形をしていて、これを半分に切ったり、逆さに吊るしたりして祈願していました。
19世紀はじめになると、てるてる坊主を吊るして願いが叶い、晴れになった後は、願い事が叶った時にだるまの片目に目を描き入れるのと同じように、人形に目を描き入れて御神酒を供え川に流していたそうです。
願い事が叶うと目を描き入れるというのは、日本独特の文化なのでしょうか?ちょっと気になります。
では次に、てるてる坊主の作り方を見ていきましょう。
用意するもの
- キッチンペーパーか正方形の白い布
- 頭の中に入れるアンコ(サランラップや新聞紙など)
- ゴムバンド
- ひも
- マジックペン
作り方
- ①正方形のキッチンペーパーや白い布の、ほぼ真ん中に顔を描く。
(注:目はぱっちりと大きく描くといいですが、向かって右の目は描かない) - ②正方形のキッチンペーパーや白い布の、ほぼ真ん中に②のあんこを丸めたものを入れる。
(あんこが大きいと頭が大きくなるので可愛いです) - ③首の部分にゴムバンドを巻き、頭をしっかり固める
- ④少し太めのひもを、ゴムバンドの上に巻き、吊るす長さの分を伸ばして取ってから首を縛る。
(首の部分にリボンを結ぶとさらに可愛いです)
さらに、てるてる坊主に願掛けをした後の処理についてお話ししましょう。
先に、てるてる坊主を吊るして願いが叶い、晴れになった後は、願い事が叶った時にだるまの片目に目を描き入れるのと同じように、人形の向かって右目の目を描き入れ、御神酒を供えて川に流していたそうです。
と述べましたが、顔を描かずに吊るすという方法もあるようで、のっぺらぼうのまま吊るして、晴れたら顔を描く。
ということらしいのですが、これは昔墨で顔を描いて軒下に吊るしていると、墨が垂れて涙のように見えるから、願いが叶わなくなるという、そんな考え方からのようです。
この顔を描くか、向かって右目だけは描かないかの二つの方法での、お願いが終った「てるてる坊主」の供養については下記のようです。
- 顔を描かない。(又は、向かって右の目は描かない)
- 晴れたら、顔を描いて(又は、向かって右目を入れて)御神酒を添えて川に流す。
- 雨が降ったら顔を書かないまま(又は、片目のまま)川に流す。
いずれにしても、「てるてる坊主」が一生懸命働いてくれたことを労い、感謝して丁寧に供養するということですね。
てるてる坊主の由来が怖すぎる!
では、てるてる坊主の由来について、お話していきましょう。
江戸時代に中国から伝わって来た。「掃晴娘(さおちんにゃん)」という、雨雲を箒で払ってくれる、箒(ほうき)を持った女の子の紙人形が起源のようです。
それは、晴娘(ちんにゃん)という、心のやさしい、美しい少女のお話です。
ある年の6月、北京にかつてないほどの大雨が降りました。毎日毎日降り続き、「東海龍王」という大雨の主が、北京城内を大雨で溢れさせて人々を苦しめていると考えられていました。晴娘は、天に向かって一生懸命「どうぞ雨がやみますように」と祈りました。
すると、空から「東海龍王の太子の妃になりなさい。さもなくば北京を水没させてしまうぞ」という声が聞こえてきました。
晴娘は、「わかりました。私は、天にのぼって太子様の妃になります。ですから、どうかもう雨を降らせないでください」と言ったのです。
すると、晴娘の姿は消えて雨はぱったりとやみました。
それ以来人々は、雨をやむように祈って太子の妃になった晴娘をしのび、雨が降り続く時には、紙で作った「掃晴娘」の人形を、門にかけるようになったそうです。
なんとも悲しいお話しですね。
その伝説が日本に入って来て、日本では天気の回復をお願いするのは、もともと僧侶の仕事でしたので、女の子の人形が僧侶の人形に変わり、人形の頭を僧侶の「坊主」頭にして、「てるてる坊主」になったのではないかと言われています。
実は、もうひとつこの「てるてる坊主」の伝説があるんですが、それが怖いんです。
昔、毎日毎日雨が降り続いた時期があって、人々は大変困っていました。
いつかは晴れるだろうと、ひたすら晴れることを願い待っていたのですが、ちっとも晴れる日はやって来ません。
作物はとれず人々の生活すらもおびやかすようになり、いよいよ限界を感じていたそうです。
あるところに、お経を唱えれば晴れるという、有名なお坊さんがいました。
そのお坊さんが街にやってきて、「私が雨を降りやませ、晴れるお経を唱えましょう」と、お殿様の前でお経を唱えました。
そして、「ご安心ください。これで明日は必ず晴れますよ」と言いました。
しかし、次の日も雨は降り続けました。
お坊さんは嘘をついたとして、その罰として首をはねられてしまいました。
そのお坊さんの首を、おまじないとして布に包んで吊るしたところ、次の日は快晴になったそうです。
それが、現在の頭を吊るす「てるてる坊主」の形になったそうです。
なんて残酷で恐ろしい話でしょうか!!
てるてる坊主の頭は、実はお坊さんの生首だったのですね。
そんな伝説からか、童謡の「てるてる坊主」の歌詞がちょっと怖いです。
まずは、歌詞を見ていただきましょう。
童謡『てるてる坊主』 作詞・浅原鏡村 作曲・中山晋平
(1番)
てるてる坊主 てる坊主 あした天気にしておくれ
いつかの夢の空のよに 晴れたら金の鈴あげよ
(2番)
てるてる坊主 てる坊主 あした天気にしておくれ
わたしの願いを聞いたなら あまいお酒をたんと飲ましょ
(3番)
てるてる坊主 てる坊主 あした天気にしておくれ
それでも曇って泣いてたら そなたの首をチョンと切るぞ
3番の「それでも曇って泣いてたら そなたの首をチョンと切るぞ」の歌詞は、まさにその伝説からきたものなのでしょうか?
てるてる坊主って海外にもある?
最後に「てるてる坊主」って日本だけのものなのでしょうか?
海外にもあるのでしょうか?
先に述べたように、日本の「てるてる坊主」は、中国の「掃晴娘(さおちんにゃん)」の伝説が日本風にアレンジされたり、変換されたものでした。
中国以外の外国には、日本の「てるてる坊主」のような人形を作って、晴れを願うといった風習はないようです。
そもそも海外は、逆に雨乞いのために、何かあると神様にお祈りしたり妖精にお願いしたりするのが一般的のようです。
まとめ
今回は「てるてる坊主の意味や作り方は?由来が怖すぎる!?海外にもある?」についてお話してきました。
てるてる坊主の意味は、ご存知「天気が晴れますように」と願掛けの想いを込めて作り、その日まで軒下に吊るして祈るためのものでした。
作り方はシンプルで、頭の部分を包んで縛るだけのものでした。
由来については、ふたつありました。中国の「掃晴娘(さおちんにゃん)」の悲しい伝説と、日本の「お経を唱えれば晴れるという有名なお坊さん」の怖い伝説でした。
海外では、中国以外に「てるてる坊主」と、同じようなものは無いようです。
少し大げさな話になりますが、「てるてる坊主」のお話で私が感じたことは、人間の知恵や技術がどれ程進化しても、自然の力に及ぶことはできません。それでも昔の人々は、願いを叶えるために、その時代なりの方法で対応せざるを得ませんでした。この世で一番尊い、人の命さえ犠牲にしなくてはならなかったのです。そしてそれは、どれ程科学が進歩した現代の世の中でも、自然を人間の思い通りにすることは不可能です。だからこそ、せめてその思いを形にして、祈りの対象物を偶像のように創り上げ、祈る術しかなかったのです。